2009-06-05 第171回国会 衆議院 厚生労働委員会 第16号
最後に、一九九二年、脳死臨調の場で、会長の元文部大臣の永井道雄氏がみずから筆をとった最終答申の末尾でどういうことを言われていたか。脳死を人の死とすることについてはおおむね受容され合意されているという答申をまとめた上で、このように申されています。
最後に、一九九二年、脳死臨調の場で、会長の元文部大臣の永井道雄氏がみずから筆をとった最終答申の末尾でどういうことを言われていたか。脳死を人の死とすることについてはおおむね受容され合意されているという答申をまとめた上で、このように申されています。
いい天気ということなんですが、私が思い出しますのは、三木内閣時代の文部大臣の永井道雄先生、私中学生でございましたけれども、甲子園の開会式のあいさつで、きょうはいい天気です、甲子園のいい天気というのをつくるのは皆さんの元気とはつらつとしたプレーです、そういうあいさつをされたことを極めて鮮明に覚えております。そして、私も、小さいころでございましたけれども、大変な元気を得ました。
ですから、国立大学に戻ることが必ずしもいいというふうには言えませんが、しかし、私はここのところで考えなければならないのは、実はここで御紹介したいのは、この法案ができるときになって急にいろいろな大学人の間でまた名前が出るようになりましたけれども、元文部大臣であった永井道雄先生の労作の中に大学公社案というのがあります。
元文部大臣の永井道雄さんの言葉を紹介されていまして、ここの部分で教育を富士山に例えて、 富士山は広い裾野があるから美しいのだが、しかし本当に優れた教育は富士山ではだめです。我が国の教育状況が非常に困ったことになっているのは、峰が一つしかないことです。それは東大の峰です。そうすると他の小さな大学はみんな東大を真似ます。小さな筑波山をつくったり、大岡山に立てこもります。
これ自体が非常に不自然なことであって、昭和三十七年ごろから大学公社化などと永井道雄さんなんかがおっしゃったり、四六答申ではいわゆる法人化なども出てき、六十二年の臨教審答申でもそういうことが十分議論された。
この共有の問題でございますけれども、私は大学人でありますので、平素学校で痛感しますのは、まずアジア各国の言語、これは永井道雄先生が随分強調されておられまして、私の大学は当時、文学部はなくても、韓・朝鮮文化論、歴史、カルチャー、ヒストリー、ランゲージ、そういうものを開講したのでありますけれども、そういう形で、少なくともアジアのどこかの言語を日本人が第二外国語として学んでいく、そういうパターン、文化的なそういう
例えば、以前は、ちょっと正確に、私も幼かったのでよくわかりませんが、天野貞祐さんとか森戸辰男さんとかあるいはまた永井道雄さんとか、そういった方がたしか民間御出身ではなかったのかな、こういうふうに思うわけであります。
というのは、国連大学を日本に誘致しようというときに永井道雄さんからちょっと相談を受けて、当時横浜の市長が大変熱心に誘致をされた。
具体的に申しますと、永井道雄先生にいろいろ私は教えを受けたのですが、永井さんの考え方はそういうところがありまして、とてもそれが大事ではないかと思います。
これは昭和三十三年に、前の永井道雄文部大臣が京都大学にいたときに、どうも戦後すぐの教師と違うんだと。教師にでもなろうか、教師しかなれないという、でもしか教師。言うならば、京都大学とか東京大学の教育学部というのはいろんな公務員もあるし新聞記者もある。それで、教師にでもなろうかと、それで、でも。
この交通遺児育英会は昭和四十四年の設立ですけれども、その四十四年の設立以来理事であった静岡県交通事故遺児を励ます会の小長井清一会長、そして財界大御所の中山素平さん、厚生省の兄事務次官であった翁久次郎さん、元文部大臣の永井道雄さん、監事では日本生命の名誉会長の弘世現さん、こういう方々が次々と宮崎新体制の中で辞任をされておられる。
私の経験では、非政党員の文部大臣は、昔は天野点祐さんなどおりましたけれども、永井道雄さんと赤松さん、お二人だと思います。非常に自由な立場で物を言えると思いますので、よろしくお願いします。 昨年の十一月十九日の本委員会で、大臣は次のように答弁されております。
貯金事業の充実強化ということでそれぞれ御意見を持っておられると思うんですが、六十年の五月に、元文部大臣をやられた永井道雄先生をキャップとする郵便局の将来ビジョン懇談会というのが左藤恵郵政大臣のもとで行われております。その中に実は、「郵貯が構想する新金融商品とサービス」というものがありまして、大変な数、二十数項目に上る新しい商品開発の問題が実は書かれているわけですね。
○議長(土屋義彦君) 日程第一 国家公務員等の任命に関する件 内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下眞臣君を、 また、日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を任命することについて、それぞれ本院
井形昭弘、宇野收、梅原猛、金平輝子、木村榮作、齋藤明、永井道雄、萩原太郎、早石修、原秀男、平野龍一、三浦知壽子、森亘、山岸章及び山下眞臣君の十五名を臨時脳死及び臓器移植調査会委員に任命いたしたいので、臨時脳死及び臓器移植調査会設置法第五条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため本件を提出いたしました。 何とぞ、御審議の上、速やかに同意されますようお願いいたします。
内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下員眞臣君を、 日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を 任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。
───────────── 一、国家公務員等任命につき同意を求めるの件 人事官 石坂 誠一君 三、二三任期満了につき再任 弥富啓之助君 内海倫君辞任予定につきその後任 臨時脳死及び臓器移植調査会委員 井形 昭弘君 宇野 收君 梅原 猛君 金平 輝子君 木村 榮作君 齋藤 明君 永井 道雄君 萩原 太郎君 早石 修君
文部大臣は永井道雄さん、そしてそれを取り巻くバックグラウンドは、国会は与野党が伯仲の時代でございました。私は七七年の改訂を評価するわけですが、やはり永井文部大臣だったからできたのじゃないかなという感じも、実は私は今強く持っておるわけでございます。
(資料を示す) ここでは、わざわざ記憶を喚起するために言っているんですが、「前文部大臣の永井道雄先生の講演記録が」月刊リクルートに「掲載されております。」、「永井文部大臣時代の文部行政についての取り組み方、姿勢、実践などが触れられています。」。
また三木内閣の文部大臣を務められた永井道雄さんは、教研集会の講師を務められたこともあると私は、これは間違いかもしれませんが、たしかそうであったと記憶をいたしております。 それで、そういう教職員団体が自主的に行う研修、そして相互に経験を交流し合う研修の役割というのは、今日の日本の教育にとってやはり大きな役割を持つものだ、このことについては総理も御同意いただけますでしょうか。
また、例えば教育分科会の日本側代表は永井道雄さん、科学技術は向坊元東大学長、こういう皆さんですが、中国側もそれぞれそれに見合った方々が出てきておられる。私は政治分科会におりましたけれども、中国側の発言も非常に歯に衣を着せないものだったと思います。